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ここからが本題です!

このページでワーグナーの隠れた曲を紹介していきますよ!


若き日の彼の作品の中からオペラ以外の曲を取り上げます!

幻想曲嬰へ短調(ピアノソロ)

About me

18歳にして約30分!


しかもぶっ続け!


この曲は少年時代の習作の一つです。本人はピアノの演奏があまり上手では無かったため、技術的にも平易で傑作とは呼べるものではありません。ワーグナーのオペラどころか、ショパンなどピアノ音楽を得意とした人たちのものと比べると明らかに劣っています。

モーツァルトなども18歳で演奏時間30分以上の曲を作りました。

しかし、第一楽章などの区切れも無く延々とメロディーが続く長大な曲をその年齢で作曲した人はワーグナーが初めてではないでしょうか。その様な幻想的で長々と聴かせる様な傾向は後のオペラの作曲にも出てきます。

それ以前にも15歳にして戯曲を書きあげていていて、その天才ぶりは音楽の分野にも発露されたともいえましょう。オペラを作曲する前から凄すぎて脱帽です。

交響曲ハ長調

About me

ワーグナーの最初にして最後の交響曲!


意外性あり!


この曲は19歳の時の作品で全部で四楽章と典型的な交響曲です。当然のことながら、当時のワーグナーはまだまだ勉強中の若造で、大学生でした。しかし、大学の授業には魅力を感じず、個人的に音楽を習っていました。先のピアノの幻想曲と同様、その様な習作期にこの交響曲ハ長調を作曲したのです。

曲の傾向としては、ウェーバーやベートーヴェンなどの偉大な先輩たちの音楽を模範としており、4つの楽章がぶっ続けで演奏される事は無く、ちゃんと区切れがあります。ワーグナーが二十歳にもなっていない時の作品な為、音楽そのものには皆さんが知っていたり思い浮かべる様な彼の個性はまだ出てないです。

しかし、特筆すべきはメロディの用い方にあります。この曲は、第1楽章で一つ一つの音に感覚を少々空けた序奏の旋律から展開していきます。それぞれの音も重めです。人によっては音と音との間隔が無駄に空いていると感じますが、全ての楽器による合奏でグッと聴かせる所に彼の斬新な試みが窺えます。その後、普通の古典派の形式通りに繰り広げられます。テンポの遅い序奏付きの早い速度の第一楽章、緩やかな音楽の第二楽章、少し早めな第三楽章、速度のある第四楽章で構成されています。
ここまで聞くと単なる習作と聞こえますが、何と!最終楽章の最後の最後に最初の楽章の序奏が再び登場するのです!従来の序奏がメインテーマを聴くための単なる導入に過ぎなかった所を、わざわざ最後に引っ張り出して曲の統一感を出しているのです。しかも、最後の楽章に合わせて軽めに速めの曲調で登場させています。
この様な曲のモチーフの使い方も、後のオペラにも通じ徹底させていきます。

見劣りがする凡作の様で実は偉大さを感じさせる隠れた名作とでも言いましょうか。ちなみに、その後もワーグナーは交響曲の作曲を試みましたが、いずれも未完に終わります。ベートーヴェンからの脱却を目指し、新たなドイツ音楽を生み出す上で交響曲は作れない、オペラでなくてはと思ったためでしょう。

二人の擲弾兵(てきだんへい)

フランス語!


パリ時代!


この曲は1840年完成、ワーグナーがパリにいた頃の作品です。その頃のワーグナーはというと、贅沢ばかりの借金まみれな生活になって夜逃げをしていた時でした。そんな中で他の芸術家と同様に成功する事を求めてパリに到着したのです。

当然のことながら、彼も生活費を稼いで生活しなくてはなりません。その手段として、作曲・執筆活動も行っていました。その中には、オペラだけでなくオーケストラの序曲や歌曲もあります。

ドイツ人だからドイツ語の歌曲しか無いのではと思いきや、意外な事にフランス語の歌曲を作っていたのです。その1曲がこの「二人の擲弾兵」です。

なぜこれに注目をするのかというと、演奏時間が7分程度でフランス色の強い歌詞の内容である為です。
元の作詞者はハイネというドイツの詩人でしたが、フランス語訳のものにワーグナーは作曲をしています。フランスでの活動で成果を出す関係上、同国の人々に迎合するよう苦心していたのが見え隠れします。いかにもフランスで受け入れられるように、何より音楽家として食っていくために生み出した様な曲です。その関係もあり、シューベルトやシューマンなど歌曲の分野に積極的だった音楽家の作品と比べて、見劣りがあるのは否めないです。彼らの様な普通の歌曲は4~5分程度の長さにも拘わらず、7分くらいの長さになっている点からは、オペラの作曲家としてのワーグナーの野心が感じられます。

さて、曲の内容はと言いますと、最初は深く沈んだ雰囲気の音楽が長く続き、最後にはフランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」の旋律も登場して意気揚々とした展開で終わります。歌詞の内容はフランスがロシアとその連合国との戦争に負け、あるフランス兵が意気消沈していたものの、自国の兵としての誇りとナポレオン皇帝に対する忠誠心から精神的に立ち直りというものになっています。

作曲家として、もがき苦しんでいた頃の作品であり、オペラの色も表れたユニークなフランス語の歌曲です。

使徒の愛餐(あいさん)

ワーグナー唯一の宗教音楽!?


壮大な男声合唱!


1843年に作曲で当時のワーグナーはドレスデンの宮廷で音楽をやっていました。その頃は劇場での指揮活動に宮廷内の行事での作曲などに追われ、ドレスデン男声合唱協会の理事も務める程に多忙だったそうです。その類の機会音楽は彼のやっつけ仕事で取組み、オペラに力を入れたいのが本音だったため、決して質の高くない作品が多いです。ここではその中でも「使徒の愛餐」という男声合唱の音楽に注目します。

バッハやモーツァルトなども数々の宗教音楽を作曲、今日でも演奏されます。しかし、そのジャンルの音楽とは無縁そうなイメージを持たれているワーグナーもこの種の音楽を作っていたのです。作詞作曲のきっかけが、ドレスデンの合唱祭というイベントです。催し自体は、キリスト教とは関係ないものの、曲名からしてキリストと関係しています。その歌詞の内容は、キリストの弟子たちがお祈りをしていると、天からの声が聞こえ、それに勇気づけられて伝道に行くというものです。演奏時間は30分弱、厳粛な雰囲気で長々とアカペラが続き、演奏時間が残り8分くらいになってオーケストラの音楽も加わり、壮大さと高揚感を増して感動的なものとなります。この様な儀式的な合唱の音楽は彼のオペラ作品にも登場、かの有名な歌劇「ローエングリン」の婚礼の合唱もこの経験があったからこそ生まれたと言えましょう。

初演の際には1200人の合唱、100人のオーケストラという大編成でドレスデンの教会で行われました。その天井には50人ほどの合唱団員も配置され、立体的でオペラの様な演奏効果を演出しました。この事から、事実上のワーグナー唯一の宗教音楽と呼んでも過言ではないかもしれません。

なお、この曲は何も初演の時の様な大編成を必要とはせず、普通の規模の男声合唱とオーケストラでも演奏できます。ただ、3つのグループ且つ4つのパートに別れた合唱の掛け合いなど実演の面で難易度が高い事もあり、なかなか上演されないのは残念ですが、音楽家として繁忙だった中から生まれた佳作であり、これもまたオペラの創作に繋がっているのは興味深いです。

ヴェーゼンドンク歌曲集

不倫によって生まれたドイツ語歌曲!


作詞は不倫相手!


この曲は1857年すなわちワーグナーが44歳の時に作曲を開始、翌年に完成です。その頃の彼はというと、マチルデ・ヴェーゼンドンクという既婚者の女性に詩や音楽を教えていました。そこから次第に恋仲となり、ワーグナー本人も既婚者であった為、その不倫がスキャンダルとなったのです。更に、それが原動力となって1作の傑作のオペラ「トリスタンとイゾルデ」も生まれたわけですから、ワーグナーにとってこの不倫も重大な局面となったのです。

しかも彼は人生で3回も不倫していて、マチルデとの熱愛が2回目でした。1回目も既婚者との不倫で、彼の正式な奥さんから逃げ回る事もありました。3回目はフランツ・リストという音楽家の娘との間で、これまた既婚者相手で彼女との間に2人の娘と1人の息子が誕生します。とんでもない略奪婚ですが。その息子は「ワーグナーの初」という項目で明らかにします。

さて、話題をヴェーゼンドンク歌曲集に戻しますと、作詞はマチルデ・ヴェーゼンドンクで彼女の数多のドイツ語の詩の中から5篇をワーグナーが選んで作曲です。表題は「天使」「とどまれ」「温室にて」「痛み」「夢」で心の苦しみも時折歌われながらも、歌詞も音楽も全体的に恍惚感があって幻想的です。歌詞の内容もワーグナーの影響が窺え、両者の関係がそれ程までに深かったことを物語っています。元々この歌曲集はピアノ伴奏とソプラノ独唱ですが、音楽的な深みはオーケストラ版が特に顕著で、上でも言及したオペラと似たような傾向にあります。その編曲は1曲だけワーグナー本人が、残りはすべて弟子がやっています。演奏時間は合計で約22分程度です。

ヴェーゼンドンク歌曲集は不倫が生んだ大傑作のオペラの片手間に創られ、その関係性を物語る小規模なドイツ語の歌曲集と言えます。

ゲーテのファウストによる7つの小品

1830年初頭の作品!


ユニークな複合作品!


話はまたドイツ語歌曲に戻ります。上記の歌曲集以前に何と!17歳だった頃にもドイツ語の歌曲集を作っていました。ゲーテというドイツの文豪の作品「ファウスト」からの詩を採用している為、イメージ画像はゲーテの絵です。

まだまだ音楽の勉強をしなくてはならない段階とはいえ、この作品は非常に個性的な構成をしていると思いました。なぜなら、編成が一人のピアノ伴奏・バリトン・ソプラノ・テノールの歌手がそれぞれ一人、合唱で構成されている為です。合唱に関しては、男声のみの版と女声男声の混声合唱の版があります。単なる連作のドイツ語の歌曲ではなく、独唱や合唱が組み合わさった曲もあれば、合唱だけの曲、ピアノ伴奏とナレーションだけの曲もあります。こうした今までに無い様な取り組みからもワーグナーの独自性が見受けられますし、どこか新しい物を感じさせました。

曲の方はと言いますと、7曲合わせても15分程度です。1曲目から5曲目はユーモラスで楽しさもある雰囲気が印象的です。中には歌詞に嫌らしい悪魔の歌もあります。6曲目と7曲目はグレートヒェンという「ファウスト」の登場人物の女性の悲しみを表す音楽となっていて、前者はソプラノの独唱で後者がピアノ伴奏に載せて激情的にそのナレーションが語られます。

この様な特異な構成をしていて、習熟度も低い頃の作品もあり通作ではそうそう演奏されません。ただ、録音を探すと、抜粋で歌っている歌手もチラホラいます。

なおワーグナーに先立って、シューベルトも当時17歳だった1814年にゲーテの『ファウスト』の1場面から抜粋して作曲をしています。編成も合唱・複数の独唱・ピアノと先の音楽と同じです。しかし、後者はの方は演奏時間が約8分で、ナレーションは無しである事を考慮すると、前者の方が若干新しい感じがします。つまり、文学作品と音楽の組み合わせ方でより進歩的であると言えます。

まだまだ未熟ながらも、極めて珍しい構成をした作品であり、総合的な音楽を作ろうとしたワーグナーの野望の片鱗を感じさます。

ウェーバーの墓前にて

尊敬する作曲家への哀悼!


アカペラの男声合唱!


この曲はウェーバーの追悼の為に1846年に作曲されました。ワーグナー自身、この先輩の作曲家を非常に尊敬していて、ピアノを正式に習う前に彼のオペラ「魔弾の射手」の序曲を自己流で弾きこなす程です。そのウェーバーの姿をワーグナーは幼い時から生で見ていて、本人の自作自演も聴いています。そのウェーバーが1826年にロンドンで40歳の若さで亡くなった時、ワーグナーは非常に悲しんだそうです。

その亡骸が1846年になってやっとドレスデンに戻って埋葬される事に合わせて、ワーグナーはこの曲を作ったのです。曲の編成は男声合唱のみで楽器による伴奏はありません。その曲の初演時には、ワーグナー本人もお悔やみの演説も行い、聴衆を感動させました。

さて、曲の方はと言いますとワーグナーならではの斬新さは無いものの、典型的なロマン主義の傾向と伝統的な教会音楽の色が混ざったかのようなものとなっています。追悼の目的な為、当然と言えば当然です。歌詞の内容は、遠く離れた異国から帰還するウェーバーを温かく迎え、その偉大さを讃えて冥福を祈る筋書きとなっています。

尊敬してやまない作曲家の死を悼み、その心情を純粋に告白する内容を清らかな男声合唱のみで聴かせる音楽で、ワーグナーにしては珍しく透き通った癒しの効果を終始感じさせます。

ポローニア序曲

About me

ポローニア=ポーランド!


とにかく明るい!


この曲は1836年の春ごろに作曲されました。この時期のワーグナーはというと「恋愛禁制」という自分のオペラの上演に失敗した時でした。この曲に関しては「ワーグナーの初」という項目で詳しく述べます。

それから、この時期はポーランドで独立革命が行われていて、ワーグナーもその影響を受けていました。そこで生まれたのが序曲「ポローニア」で、ポーランドの民謡や舞踊の音楽も取り入れられています。これは演奏会用の序曲の一種で、何か後に続きを伴わずオーケストラの音楽だけで完結する1曲の楽曲です。その類の曲はベートーヴェンやメンデルスゾーンなど他の作曲家も作っています。

では、この曲はどうなっているのかと言いますと、序奏付きで全体的には明るくて快活・あっけらかんとした曲調の音楽で、演奏時間は約11分です。小太鼓・大太鼓・シンバル・トライアングル・ティンパニも積極的に鳴り響き、今までのワーグナーのイメージを覆すかのような華々しさが展開されます。ポーランド革命の影響があるので、軍楽隊の打楽器や威勢がこもっているのは当然と言わんばかりです。私にはロッシーニなど別の作曲家の音楽を聴いてるかのような気分にもなります。ですが、時としてワーグナー特有の個性が発露する事があり、和音や弦合奏のうねる様な響きからそう感じられました。それまでのオペラよりも彼の個性が表れていて、「ワルキューレ」など後の有名な音楽につながる様な片鱗も窺えます。

しかしながら、ワーグナーのオペラの前奏曲や序曲・ブラームスなど他の作曲家の演奏会用の序曲と比べると、若書きなのもあってどこか表面的で厚みに欠けてしまいます。ワーグナーがオペラに力を入れたのは前にも述べた通りですが、その分野のノリでこの演奏会用序曲を作っていた節も感じられます。なぜ、この様な事が起きてしまうのかは最後に長く述べます。

総じて言えば、ポーランド革命の影響が出た若書きであり、音楽的な進歩が見受けられた作品です。

コロンブス序曲

21歳の作品!


個性的!


この曲は1835年1月に完成、元々はアーベルというワーグナーの友人の戯曲『クリストファー・コロンブス』という作品の為に作られました。戯曲とは芸能人が良くやってるようなお芝居の台本のような文学のジャンルです。ワーグナーもその分野の付随音楽を時たま作曲しました。ただ、この『コロンブス』の為の楽曲は序曲しか残っていないです。しかも、その文学作品そのものも評判は当時から芳しくなく、今では全然上演されないです。その結果、この序曲も埋もれてしまいました。ちなみに、クリストファー・コロンブスとは皆さんが知っているあのコロンブスの事です。

この曲もワーグナーの初期の作品なだけあって、どことなく軽薄さはあります。演奏時間は約8分と彼の序曲にしては短い方です。しかし、全体的な響きを聴くとこの管弦楽曲は彼特有のハーモニーや推進力、アクの強い深みなどを感じさせます。特筆すべきは、後年の大作「ニーベルングの指環」のメロディーの一部を先取りしている所です。こんなにも早くワーグナーらしさを確立しているとは聴いていて驚きです。コロンブスという冒険家の野心と探求心、アメリカという新天地での感動を表現する上では、この位の個性を出さなくてはと作曲者本人が思ったのでしょう。

元々は凡作の戯曲のBGMだったものの、ワーグナーが自分らしい作風を開花させた音楽です。

何故ワーグナーはオペラ以外の作品ではそれほど良い作品は残せなかったのか?

作曲家はみんな色んな音楽を勉強してるんじゃないの?


確かに人それぞれ得意・不得意・志向があるのは分かるけど、ワーグナーはオペラでがっつりオーケストラやボーカルを扱いこなしてるから、もっと色々作れても良かったんじゃない?

日本の作曲家の一人の三枝成彰さんは、作曲家にはオペラの得意な作曲家とそうでない者とに分けられると言いました。前者の場合は、歌劇という演技や複雑な人間心理の描写など複合的に絡む物語の中で音楽を作らなくてはなりません。その台本も退廃性・官能・勧善懲悪・出し抜きが無ければ、基本的には良い作品は出来ません。故に、音楽の方も単にメロディーをグイグイ聴かせるのではなく、総合的な要素の中で調和するように作る必要に迫られます。そういった事情から、ワーグナーはオペラを作るノリで他分野の曲を作ると、質が落ちてしまいがちになり、その数も少なくなってしまうと考えられます。オペラの作曲に慣れると、別のジャンルの作品でもその癖が出てしまうのでしょう。これはワーグナーに限った事ではありません。

逆に後者の場合は、メロディーそのものや楽器の音そのものをグイグイ聴かせる傾向にあります。その為、そのノリでオペラをやろうものなら1作も作れないか、完成させても質の良いオペラは数曲だけという傾向になります。そのジャンルで音楽が出しゃばっては舞台演出など他の要素と上手く絡み合いませんし、歌劇ならではのルールと馴染みません。ベートーヴェンも歌劇を1曲だけ作り、それなりに評価できるものの音の作りがオペラ向きではないと聴いていてひしひしと感じられます。そんな作曲家も多くいます。自分の得意分野での作曲をオペラには当てはめる事が出来ず、なかなか作れなくなってしまうと言った所でしょうか。
なお、オペラでもそれ以外の分野でも達者に作曲が出来た人はいます。モーツァルトがその筆頭ですが、そのような作曲家はわずかです。

要するに、オペラとそれ以外の分野の音楽とでは作曲のやり方が違ってくるため、前者は作れても後者は上手く作れない作曲家もいれば、その逆の音楽家もいるのです。ちなみに、メロディーやハーモニーが失われていく近代音楽の発展もあり、西暦の20世紀生まれの作曲家でオペラが得意と言えるような人はほぼいないです。

このページのまとめ


30分弱の幻想曲

20歳にもならないうちに、ピアノソロで長々と作ったのはワーグナーならではです。

イントロに注目の交響曲

最初のイントロが最後の最後に登場させているところも、ワーグナーの個性の片鱗です。

約7分のフランス語の歌

パリでの貧困から生まれた苦肉の作品です。

宗教色の強い合唱音楽

傑作のオペラにも繋がるユニークな作品です。

恍惚感ある歌曲集

不倫相手への情熱から生まれました。

ゲーテ作詞の習作

曲の構成からして総合的な音楽づくりです。

追悼のアカペラ

ヒーリングの様な男声合唱で、ウェーバーの冥福を祈ります。

ポーランド関係の序曲

若き日にポーランド革命の影響から、序曲を1曲作りました。

友人の戯曲向け序曲

若書きで自分らしさを打ち立てました。

オペラだけを得意とした理由

オペラとそれ以外とでは作曲のノリが違ってしまう為、本当に何でも作曲できる人は僅かです。